ジェンダーギャップランキング121位によせて
先日、最新版のGlobal Gender Gap Report が出ましたね。
わが日本は栄えある(ない)121位にランキングされました。第一印象としては「あーまーそうだよね、それにしても結構落ちたな」というところでした。
なんといっても医学部入試でド直球の差別をやらかした大日本ですからそりゃ下がろうってもんです。まあ別に今年発覚したってだけでこれまでもずっと行われてきたことだし、発覚しないよりはしたほうがいいんですけど、それに喜んじゃうとハードル低すぎて切なくなります。
というわけで、日本の男女格差について思っていることを書き留めておこうと思って筆をとっています。
問題を定義する力
早速本題に入る前に。ランキングの力、すごいなと思いました。「121位」という数字が出て議論が巻き起こる。日々女性差別死ねと思っている人々にとっては、「ホラひどいでしょ」と提示する武器にもなるし、「こんなしんどい国でよくがんばってるよ」という慰めにもなる。
もちろん完全無欠なランキングではありません。けれども、誰が見ても分かりやすい客観的指標を使い、この世界の一側面を目に見える形で表してくれています。というか完全無欠なものなんてありっこないんだから、パーフェクトでないことそのものを殊更にあげつらうのはナンセンスです。よく「アラブ諸国より下なはずがない(からランキングの作り方がおかしい)」的な言説を見るんですけど、「アラブ諸国にすら負けている分野がある可能性」(事実と言いたいが)を直視してくれ…と思います。
で、私は今大学院進学を目指しているわけですが。研究が持つ大きな力の1つはこういうことだよなと思います。現状を分析し、問題を定義し、世間に投げかける。その積み重ねが今であり、改めてこれまでの人類の歩みに敬意を表したくなります。
閑話休題。
女性のせいにしないで
女性議員が少ないとか女性管理職が少ないとかいう問題に対して、「でも女性自身がなりたいと思っていない」「機会は平等にあるから結果として男女不均等でも問題ない」なんていう戯言はもうたくさんです。うんざり。
生まれつき女性より男性のほうが優れているなんて非科学的言説を信じていない限り、母数は男女半々なのに権力的地位には圧倒的に男性しかいないことの不均等に気づけますよね?その不均等を生んでいるのは社会です。長とつくものを女子がやろうとしたら出しゃばりと言われたり、家事の手伝いを女子だけがさせられたり、女の子の浪人はみっともないと言われたり、東京に行かせてもらえなかったり、そんなことの積み重ねの結果が「管理職になりたがらない女性」なんです。Do you understand?
仮に今管理職や政治家になれるポジションの女性がいたとしても、圧倒的男性社会のなかでセクハラも覚悟しながらやりたいと思えるでしょうか。私は思えません。
まあていうか件の医学部入試事件で一番狭義の機会平等すら保障されてなかったということが判明しましたがね。もはや乾いた笑いしか出ませんがね。それが医学部に限った話だって、今やどうしたら信じられますか?笑
そこまで把握したうえで、そういう意識を植え付けられてしまった女性をどうやったらサポートできるかから出発してください。現実問題として男社会に最初に入っていく女性には多大な負荷がかかることを前提とした制度作りをしてください。社会から刷り込まれた意識は簡単に変わるもんじゃないし、変われば解決する問題でもありません。
121位というファクトを直視して
「むしろ日本は女尊男卑じゃないか」「こんなランキングに意味はない」
Shut up, please.
映画館のレディースデイとかね、男性差別であること自体に異論はないです。でもさ、それと賃金格差とか非正規率とか医学部入試とか、同じレベルの話だと思う?本気で??
たしかに120位と121位を比べてどっちが上だ下だということに意味はないと思います。でも、10位と121位は明らかに違うぞ?少なくない女性が「121位か~まあだよね~」って言っているのに、強者側にいて構造が見えづらくなっているほうから「そんなの嘘っぱちだ」とかいって勝手に無効化しないでくださいますか?
もううんざり
いきなり後ろ向きで申し訳ないですが、私はもう疲れました。確かにいいニュースもありました。#KuTooが盛り上がったり、伊藤詩織さんが民事で勝訴されたり。彼女たちの勇気と不断の努力には本当に敬意を表するほかないです。だけど、石川さんも伊藤さんもものすごい量と質のクソリプに晒されていたり、どう考えたって自民党は女性議員増やす気なんてないだろうなとなったり、圧倒的な勢いを誇る絶望がわずかな光もかき消してしまいます。別に外国が桃源郷じゃないというのは分かっているつもりですが、私はとりあえず日本を出たいです。緊急避難、というか正当防衛が必要です。
とはいえ身の回りの世界で諦めはしない
とはいえ、私はまだ日本にいて日本で働いています。テンプレかってくらい管理職はみんなおじさんだし、若い女性は自分大好きおじさんの餌食にされています。そういう日々の世界のことまで諦めてしまうことは、自分に許せません。ごく狭い範囲ではあるけれど、うっとおしいおじさんに対しては「もういい加減にして」と言っていきたいし、過剰に接待させられている女性たちには「そんなことする必要ない」って思ってもらいたいです。それは頑張ります。
これがおそらく2019年最後のエントリと思うと切ないですが、2020年も元気に闘っていこうと思います。みなさまよいお年をお迎えください。
「男」になるか「女」として二流の道を行くか(「女ぎらい」を読んだ)
こんばんは。やっと(というか無理やり)脱したと思っていたTOEFL地獄に再び舞い戻ってしまいました。でもこうなれば一発で100点取るしかないのである。がっでむ。
さて今日はかの上野千鶴子氏の「女ぎらい」を読了しました。相変わらずフェミニズムに偏る私の脳内積読消費。思ってたよりもフロイトとかラカンとか心理学の話がいっぱい出てきてちょっと圧倒されてしまいました。全くの専門外なのですよね…まあ、勉強は、いずれ。
なのでちょっと本の主題からは外れるかもですが、私の数年越しのモヤモヤをといてくれてスッキリした話をば。
私の元の職場はまあ社会的にはエリートと言われるところで、超絶男社会(部署によってはまじで女性が1/70とか)。最近やっと女性を増やし始めたところです。といってもようやっと3割にのせる程度。
学生のときからいろいろ説明会などに参加していて、人事の人とは本番の採用面接の前から顔見知りでした。いよいよ内定をもらえそうという段になり、私は衝撃を受けました。その人事担当者の口調がいきなり砕けたのです。端的に表していたのが、名前の呼び方。それまで「(名字)さん」だったのが「お前」に。
…パードゥン?
びっくりしてその場では何も言えませんでした。
そしてそのあとわりとすぐに衝撃その2が。なにかの拍子に別の職員とその話になり、「お前って言われてびっくりしました、アレはいかんでしょう」と言ったら、「女の子に『お前』はダメだよね~」と。
…パードゥン?(2回目)
そんときはいや男も女も関係ないだろ、と思っただけだったのですが、なんとなくモヤモヤが心に残り続けていました。
もう結構前のことなのでもちろんずっとそればっかり考えていたわけではありませんでしたが、「女ぎらい」の以下の記述にあたって思い出し、「ああ、そういうことだったのね!」とひじょうに納得しました。
よい成績がよい学校を、よい学校がよい社会的な達成を意味するのは男にとってだけだ。学歴と父親のコネで一流企業へ入社するところまでは行けた。だが、和恵を待っていたのは、女向けの二流のコースだった。
後輩を「お前」と呼ぶ垂直的な関係はホモソーシャルの特徴の一つだと思うんですが、人事は「お前」呼びによって私を「男化」することである意味男女同権を示そうとしたんでしょうね。「お前」もこの組織の一員となったからには、我らホモソーシャルの一員だと。「女」だけどそこへの参加資格をありがたく頂戴したわけです。
いやいや。そんなもんありがたくもなんともねえ、私はそんな資格はいりませんと表明すると、今度はすぐさま「女」認定、ホモソーシャルに加わらない「二流」の者と判定されたのです。(表面上)丁寧に扱うけどメインストリームには決して出ていかない「女向けの二流のコース」行きです*1。
事実、その職場では結婚して子どもがいる女性職員はほぼ例外なく閑職、同じく既婚子持ちの男性職員は激務の部署、そして独身の女性職員は「あいつは『男』だから」と言われる始末。
まあさすがに2019年、変わりつつあるとは思いますが。依然、女性にとって地獄なのには変わりないです。
という思い出話でした。
*1:まあさすがにその先輩もそんな意地悪を言うつもりではなかったというのは分かりますよ。概念的な話です
出願関係スケジュールまとめ
最近暇すぎてタカラヅカからどうでもいい独り言まであっちゃこっちゃ飛んでいたこのブログでしたが、一応メインは留学関係のつもりです。というわけで久しぶりに(という時点でメインではないというツッコミはさておき)そのお話をば。
わたし、2つの大学院に出願していたのですが、そのうち1つからは早くも結果が来ました。はええ。油断してた。大事そうなメールはなかなか開けないことに定評がある私ですが、今回はどうせ落ちてるでしょハイハイと思っていたので一瞬で見たのですよ(英語の点数も大学の成績も足りていないため)。そしたらですね。
受かってた。
受かってました。
※ただしConditional offer。やっぱりTOEFLは100点を取らねばならない。
というわけで、もういっこのほうも最早待つしかすることがないので、スケジュールをまとめておきたいと思います。待つしかすることがない状態になったのはもうちょっと前ですけど、落ちた奴の言うことなんかどうでもいいじゃないですか。なので、受かったのを機に。
2018年
9月下旬 退職&留学に挑戦することを決意
10月 とりあえず大学院についてなんとなく調べて、TOEFL目標88点だと思う
仕事の繁忙期で、TOEFLの勉強はほとんどできず。
11月下旬 TOEFL① 65点
12月 繁忙期を脱した解放感で遊びまくる(勉強特にせず)
2019年
Reading用の本、TOEFL対策本もこのあたりで買った気がする。
2月下旬 TOEFL② 74点
3月 退職関係でバタバタしており、またもや勉強はおざなりに
4月~5月 英語圏の国で生活。TEDict、English conversationをおもにする。ここでようやくリスニング・スピーキングへの強烈な拒否感は抜ける(できるようになったとは言っていない)。
5月上旬 TOEFL③ 85点
6月上旬 DELF B1受験
6月下旬~7月上旬 ようやく本腰を入れて大学院リサーチをし、出願校を決定。TOEFLが88点なんてお話にならないことに気づく。目標を100点に。
7月上旬 大学の教授へ推薦状の依頼、奨学金の推薦状については下書きを作成して送付
7月中旬~8月下旬 ひたすらTOEFLの勉強&伊藤国際奨学金の願書作成
8月上旬 TOEFL④ 94点
9月中旬 大学院出願用の推薦状の下書きを作成し、教授に送付
9月下旬 TOEFL⑤ 99点
9月~10月中旬 ひたすら大学院出願書類(特にPersonal statement, Motivation letter)の推敲アンド推敲アンド推敲。
10月中旬 2校ともに出願完了&平和中島奨学金応募完了
12月上旬 1校の条件付き合格通知を受け取る
TOEFL、Personal statement、奨学金については別々にまとめたほうが分かりやすいかもしれませんが、とりあえず一緒くたにしてみました。あ、ちなみに伊藤国際は書類落ちでした。悲しい。
改めて思うのはやっぱり、
出願校決めるの遅くない?
ってことですね。すいません。馬鹿でした。もうちょっと早く決めてれば余裕でTOEFL100点キメてたかもしれんのに…。一応4~5月は本当に留学するのか?日本での道もありでは?と悩んでいたというのもありはするのですが、それにしてもねえ。6月も終わるころになって突然あと1か月で100点取らねばとなった絶望は凄まじかったです(結局今に至るまで取れていないが笑全然笑い事じゃない)。
これだけじゃあんまり役に立ちそうにない情報ですが、どこの大学院受けたの?とか、推薦状は誰に頼んだの?とか、詳しいことはまたおいおい書いていこうと思います。
まさか受かると思っていなかったけど本当に憧れの大学院だったので、しばらく信じられなくて嬉しくて全然寝る気になれなかったのですが、ようやく落ち着いてきました(なお現在時刻は朝4時を少し過ぎたところ)。
明日からまたTOEFLの勉強がんばります…憂鬱だけどもう四の五のいってられない。絶対に今度こそ一発で決めねば(これが本当の三度目の正直)。おやすみなさい!
私は頭がいいから
「彼女は頭が悪いから」を読みました。最近頭の中の積読棚をどんどん消費しているのですが、なんか全部フェミニズム関連の話になっています。
さて。
これは、美咲という個人の物語であると同時に、記号、社会構造の話でもあると思います。したがって、作中出てくる「東大」「お茶の水女子大」「水谷女子大」も、現実のというよりは(そもそも水谷女子大は架空だけれども)概念としてのそれらであるわけで。それぞれ「偏差値や社会的地位が高い(とされている)組織」「『女性としては』頭がよくて自立している人たち」「女性は劣っていろというジェンダー規範に絡めとられてしまう人たち」ならなんでもこの物語は成立するのです。
作中何度も「彼(女)は〇〇大だから△△」とストレートに言及されるのも、記号化された人たち(「グレーパーカ」「靴紐」など)がたくさん登場するのも、この構造化というテーマを意識して意図的にやっていることなのだと思います。
額面通りただのステレオタイプだと受け取ってしまうと面食らうかもしれませんが、仮にもプロの作家がなんの意図もなくそんな安直な定式化はしないでしょう。だから、大事なのは〇〇大でも△△じゃない人もいる!とか、そんなことではないのです。というか、そんなの当たり前だから。みんな分かってるから。三鷹寮が広くても狭くてもそんなの全然関係ない。
つばさをはじめ加害者たちは、最後までなにが悪かったのか分かっていません。「強姦しようなんて思っていなかった、思うはずもない」から。「法が罪というのなら、そうなんでしょう」でしかないんです。強制わいせつ罪の条文は以下のようになっています。
刑法第176条 13歳以上の者に対し、暴行又は脅迫を用いてわいせつな行為をした者は、6月以上10年以下の懲役に処する。13歳未満の者に対し、わいせつな行為をした者も、同様とする。
「わいせつな行為」とは、「被害者の性的羞恥心を害する行為」を言うそうです。つまり、つばさ達は、自身が行った美咲の服を脱がせる、胸を触る、裸の美咲にまたがって座る、カップラーメンの麺を素肌に落とすなどの行為が、「被害者の性的羞恥心を害する」とはみじんも思っていなかったということです。強姦だけがわいせつ行為だと思っていたのでしょうね。まあ紛うことなきクズなわけですけれども、作者の問題意識は、彼らがその個人的属性としてたまたまクズだったというよりも、「東大」「水谷女子大」という記号、そして日本社会の構造がそのクズ性を育てた(生んだ、とまでは言いません)のではないか?ということだと思います。もちろん、つばさの兄のように、東大なら必ずそうなるというわけではありません。繰り返しますが。だけど、横教大の男性たちはそれぞれの恋人と(少なくとも作中においては)健全なコミュニケーションを保っているし、つばさが摩耶に対して美咲と同じことをしえたかというと、ありえなかったでしょう。
ではその「日本社会の構造」とはなんなのか。それは、「学歴で人の価値が左右される」「偏差値が高い人は人間として優れており、低い人は劣っている」という価値観に基づいて社会が構築されているということです。つまり、つばさ達は、よもや美咲が尊重すべき一人の人間であろうとは思っていなかったのです。この作品の肝要な部分はここであり、それに同意できないということならば、ブックトークで議論になってもまあ分かります。けれども、同意できない人、いるでしょうか。東大(現実のほうです)で開催されたブックトークで、やれ(現実の)東大の女子比率は一割じゃないとか、挫折がどうのこうのと言って批判を浴びた某教授がいましたが、批判を浴びた理由は、そういう構造に強者として乗っかっている自分がちゃんと見えているのか、ということでしょう。さらに踏み込むなら、仮にもジェンダー論の教授としては見えているべきなのに、その強者としての自分を内省しないままむしろ弱者に擬態して自己弁護に走っているからじゃないでしょうか。ていうかジェンダー論って徹頭徹尾社会構造の話なのにそこ見ようとしないってやばくない?そんな人が教えるジェンダー論ってなに?そういう無自覚な強者が歪んだ社会構造を下敷きに起こした事件ではないかっていうのがこの小説の問題提起でしょう、まあ実際東大のヒトってそうなんだね実演してくれてありがとうって感じですけど(100%嫌味)。
ブックトーク後、その教授がインタビューに答えていますが、まあなーんにも分かっていない感がすごい。「事実が違うと(現実の)東大生は読み進められなくなってしまう」のはまさに「小説の読み方が分かっていない」読むほうの問題で、この本が「東大生の性犯罪再発防止にはならない」なんてちゃんちゃらおかしい。きちんと読めば、歪んだ構造の中に強者として位置する自分に気づけるはずだから。アナタこそ東大生は小説読解力皆無ですっていう偏見をまき散らしてるんじゃないの(笑)。自分がガイダンスにプログラムを組み込むため奔走していることを言うべきだったって、別に言っても言わなくても一緒だけど…。それ自体はもちろん素晴らしいことだけど、だからって的はずれな発言が許容されるわけじゃないでしょう。当たり前田のクラッカー。ねえ、認めて、アナタ単純にこの作品の主題を読み誤っているのですよ。
はい、本の話に戻ります。もうなんかあまりにあまりで怒りが滾ってしまった。
私は女性ではあるけれど、出身大学はおおかた「うわ~すごいね~」って言ってもらえるところです。この作品で言うところの、概念としての「東大女子」。女性蔑視VS学歴差別、ファイッっていう葛藤に陥った人を幾度も見てきたけど、まあだいたい学歴の勝利でしたね。「〇〇大です」っていうと、明らかにおじさん達が一歩引くし、くだらんセクハラ発言とかしなくなります。「軽んじていい女子」という扱いを受けたこともほとんどありません。そして、インカレのサークルに所属しており、たしかに〇〇大女子と外部の女子大女子とを分けて考える雰囲気がありました。どこかに彼女らを見下す気持ちがなかったかと言われれば、100%なかったとは言い切れません。
つまり、私は学歴社会においては強者側、特権を享受する側にいるわけです。私もまた美咲を苦しめた構造の加害者です。最近この学歴問題についてつらつらと考え始めていたところだったので、なんともタイミングのいい読書となりました。上で書いたように、この男尊女卑社会において、学歴はかなり強い盾になります。けれど、それを使って自分を守るということは、翻って、その盾を使えない女性たちを追い込むことに繋がっているのではないかと思ったりするわけです。違う盾を見つける必要があります。つくづく、「人権」の発明者って偉大だなあと思います。人間が人間である限り侵されてはならない権利がある、性別も学歴も貧富も居住地も血筋もなんっっっっにも関係なく、人は人として尊重されねばならない、と。自分が尊重されるのに理由なんていらないんですよね。
本の話に戻るとか言いながら自分の話になってしまいました。最近はこのクソみたいな社会を変えるよりは、いやもういいよ、私は日本からサヨナラするよ…という諦めモードに入ってしまっているところがあるのですが。でも、とりあえず今現在は日本に住んで働いているので、日常で遭遇するクソ事案には対応していきたいところです。おじさんへの愛想は有料(そしてすぐ品切れる)だし、おかしいと思ったことは泣き寝入りしない。しんどいけど、一つ一つやっていかねばと思います。
Personal Statement・Motivation Letterと格闘中。
こんばんは、はなぶさです。
ラストTOEFLですはね…はい…。スピーキングで撃沈し、リスニングも胸を張って「できた!」と言える感じではなく…。はい。
100点取れたにせよ取れなかったにせよもうこれで最後にしようと決めていたので、最近はひっっっったすら志望動機書と格闘しております。
取り組み始めたのは8月下旬なのですがね。もうあっという間に10月ですって。こわ。
1か月ほどはひたすらおひとり様で書き直しの連続。こんなに一つの書類書き直したことって人生でないです。笑
9月下旬にようやく形にはなってきたので、この段階で留学経験者の知人友人に見てもらい、頂戴したありがたーーいアドバイスをもとにまたせっせと書き直しておりました。
留学経験者ブログとか読んでるとよく登場する「読んでアドバイスをくれるネイティブの友人」、なんでみんなそんなスーパーな友達いるんですか?って不思議になりません?いや、いないよ、日本で純粋培養されてきた私には…。いやいや、純粋培養を言い訳にしてはいけないことは分かっていますがね。やっぱ留学なんて目指す時点である程度選別されているということなのかしら。あと現在大学に在籍してるかどうかがここでは大きいですかね。教授に頼めたりしそう。
まあいないもんはしょうがないとして、急に頼んで快く助けてくれた友人には本当に感謝してもしきれません。
あと、proofreadは個人でやってる人に頼む予定です。最初は添削サービスを使おうと思っていたのですが、なんせ高価。かつ、オリジナリティが大事な志望動機書が型にはまった感じになると嫌だなと思いまして。まあ、そこらへんみなさんプロではあるんでしょうけれども。
というわけで一か月以上来る日も来る日もパソコンに向かい自分を激賞する文章を推敲し続けているわけですが(改めて文章にしてみるとわりと地獄。笑)、思わぬ副産物があったといいますか、ライティング能力がめっちゃ上がった気がします。
先日のTOEFLでは、書きやすい題だったこともありますが、さらさら書いてたらなんか520文字とかいってました。びっくらこいた。とにかく字数が正義と信じ込んでいた時期、500字を越えられはしても、書きながら自分でもこれ変だなとか論理破綻してるなとか思ってるところ直す暇がなかったんですよ。でも今回はそれなりに考えながら、頭の中で組み立てながら書いてたのに気づいたら520文字でした。たださすがに一から見直していく時間はなかったので、そんなに文字数いらない(前回460くらいでW26点取れました)んだから適度に収めて精度をあげろよ自分、と今さらいってもしょうがないですがはい。
特別早く書く訓練してたわけじゃなく、むしろ一文ひねり出すのにいろいろ調べまくって何分もかけながらやってたくらいなんですが、それでも早く書く能力って上がるんだなあと思ったのでした。
というわけで出願準備途中経過でした。
今月中には全部書類を出し切るスケジュールなので、あと一か月弱がんばります。
5年以上経っても諦めない(高校の成績証明書)
こんばんははなぶさです。100点へ向けたファイナルTOEFLがいよいよ今週末に迫ってきました。なんか100点以上取れる気しかしてないのでこのまま強気でいきます。
さて、来年からの大学院留学を目指している方々におかれましてはそろそろ出願準備も佳境に差し掛かってきたところかと思います。私も先ほどようやく必要な書類の手配・下書きをほぼ済ませました。本当にようやく。あとは人に読んでもらったり校正してもらったりして微調整していきます。
本日はその中で一時お先真っ暗になって困った高校の成績証明書について、もしかしたら誰かの役に立てるかもしれないので書いておきます。
- 高校に発行を頼んでみたら断られた
- なぜ発行できないのか
- 機械的に5年経過=発行不可ではない
- 交渉のポイント(私見)
- とりあえず門前払いを回避したら、記録探しを依頼しよう
- 記録が残っていなかったら
- 記録が残っていたら
- そもそも論2つ
高校に発行を頼んでみたら断られた
海外の大学、大学院の出願に高校の成績証明書が必要になる場合、マレーシアなどでたまにあると思います。しかしこれが曲者で、卒業から5年以上経ってしまうと、高校から発行を断られてしまうことが多いそうなんです。
かく言う私も、発行してもらえないかもしれないなんて全く思いもよらずに高校に連絡し、「申し訳ないですが、発行できません。」と言われてしまいました。結構本気で頭が真っ白になった。それからネットで調べても、ガチで発行してもらえなくて出願を諦めた人のブログなんかもあったり。おそろしや。
なぜ発行できないのか
できませんと言われてハイ分かりましたと簡単に諦められるものではないので、なんでそんなことになっているのか調べてみました。根拠条文は学校教育法施行規則第28条。
第二十八条 学校において備えなければならない表簿は、概ね次のとおりとする。四 指導要録、その写し及び抄本並びに出席簿及び健康診断に関する表簿○2 前項の表簿(第二十四条第二項の抄本又は写しを除く。)は、別に定めるもののほか、五年間保存しなければならない。ただし、指導要録及びその写しのうち入学、卒業等の学籍に関する記録については、その保存期間は、二十年間とする。
※関係ないところは省略しています。
成績証明書はこの「指導要録」をもとに作られるのですが、その書類の成績に関係する部分の保存義務が5年間なんですね。なので、5年を過ぎたらプライバシーの関係等で破棄することが望ましいとされていたりして、もう記録がないから発行できませんよというわけです。
機械的に5年経過=発行不可ではない
そう、記録がないから発行できません、ということにすぎないのです。だから、何かの理由で5年を過ぎても学校側に記録が残っている場合などは発行できますし、してもらっても法令違反にはなりません。私もうなんとかしなきゃと思って文部科学省まで問い合わせたのですが(笑)、国としても、発行してはいけないとまでは言っていないと。そして、実際に5年を過ぎてから証明書を発行してもらわなくてはいけなくなる人がいること、各高校や教育委員会の判断でなんらかの措置を講じてあげたケースも実際にあることは把握しているそうです。
交渉のポイント(私見)
高校の担当者は上記の内容までは把握しておらず、単に5年過ぎたら発行できないとだけ考えていることもあると思います。こちとら留学できるかどうかで今後の人生変わってくるんですから、担当者はイレギュラーで嫌がるかもしれないけど、一度発行できませんと言われても粘ることをおすすめします。その際訴えるポイントは、
・条文は発行を禁止するものではないこと。
・実際に便宜を図ってあげたケースがあること。
の2点だと思います。役人は法令と前例で倒しましょう。笑
なお、2点目については「~って書いてあるブログがありました!」ではちょっと説得力に欠けるので、「~って聞いたんで教育委員会(か文科省)に確認してみてください」とやるのがいいかなと思います。
また、1点目についてはちょっと諸刃の剣になることもあって…。県の文書管理規則で「保存期間を過ぎた書類は速やかに破棄しなければならない」というような規定がある場合、高校がまだ捨てていなくてもちょっと証明書を出しにくくなってしまうかもしれませんね。高校を管轄する役所の規則を調べてみてください。(私立の場合だとまた違うかもしれません)
とりあえず門前払いを回避したら、記録探しを依頼しよう
ここまでがんばって、相手がじゃあまあ話は聞いてあげましょうという態度になってくれたら、学校が記録を保存していないか探してもらいましょう。知っている先生がまだ残っているなら連絡を取るのがいいと思います。また、自分でも通知簿を保管していないか探してみてください。
記録が残っていなかったら
学校側にも自分の手元にもデータがない場合、これは残念ながら復元ができないのでどうしようもないですね…。代わりに発行してもらえる「発行できないことの証明」「単位取得証明」で代替できないか、出願する大学院に問い合わせるしかないです。
記録が残っていたら
この場合、高校の先生や教育委員会の判断次第でなんらかの書類(正式なものは難しくても、それに代わるなにか)を出してもらえる可能性があります。学校側に残っていればそのほうがいいですが、自分の手元だけにある場合でも望みはまだ繋がっています。自分がこれまでいかに留学に向けて準備してきたか、なぜその大学(院)に行きたいのかを切々と訴えるなどして、頼み込みましょう。
そもそも論2つ
っていうか保存義務5年っていうのがそもそも短すぎだと私は思うんですよ。世の中高校出てからしばらくして大学入る人だっているでしょう?そのとき高校でがんばっていい成績取っていてもアピールできないなんて悲しすぎます。平成6年頃までは20年保存だったそうなので、ぜひとも戻していただきたい。文部科学省様。
もう1つは、5年以内なら何の問題もなく発行してもらえますから、たとえ留学するつもりが露ほどなかったとしても、とりあえず発行しといてもらうというのも有効だとは思います。人生いつ何があるか分かりませんからね。
はい、というわけで、誰かのお役に立てれば幸いでございます。
日本は加害者であることを理解してください
私テレビを一切観ないので詳しくは知らないんですが、Twitterやネットニュースで観ているだけでも最近かなり韓国を侮蔑するような感情が高まっているようですね。戦前の主戦論(これは日露戦争の話やけど)とかこんな感じだったのかなあと…こんなこと、体験したくはなかったよ。大正デモクラシーから戦争まで早すぎじゃない?何があった??と常々不思議でしたが、ああ、こういうことですねと腑に落ちる感じ。今関東大震災が起きたら朝鮮人*1虐殺の悲劇再来するかもしれないな、しても驚かないなと思いますね。いや他人事ではもちろんいけないと思うからこそこの記事を書いているわけですが。
よく見るのが「韓国の批判するのがヘイトなら日本の悪口言うのもヘイトじゃないんですか?」というやつ。違います。百歩譲って「日本人はクズ」みたいな言説をヘイトに含めるとしても、日本において「韓国人はクズ」と「日本人はクズ」の与える影響は決して同じではありません。どうかここの勘違いを改めてください。
単に嫌われることを指して「ヘイトためる」みたいな言い方も蔓延してるのでややこしくなるのはしょうがないかもしれませんが、ヘイトスピーチの短縮形の「ヘイト」であるかどうかの判断に際しては、どの社会において誰が誰に向かって言うかが決定的に重要だと私は思います。ヘイトスピーチの何がいけないかって、それ自体が差別であることのみならず、それによって差別が扇動されて、誰かの安全な生を脅かすことです。日本に住んでいてマジョリティの日本人であれば、国内で日本批判があったって、それで殺される心配をしますか?「日本人はクズだから殺せ」って日本人が言ってたら、いやあなた殺されたいの?ってなるだけですよね。 まあ見たことないけどそんな場面。外国人が言ったとしたら、まわりの圧倒的多数派日本人に潰されて終わりじゃないですかね。職を失うかもしれないし、職を失ったら住んでいられないでしょう。
だけど。日本に住んでいる外国籍の人、外国にルーツがある人にとってはどうでしょうか。実際に韓国・朝鮮の人を差別し搾取してきた実績のあるこの国で、現在に至っても差別体験を受けた人が多くいる中で、安心して暮らすことなどできるでしょうか。差別されていい人なんていません。
よく「日本はいつまで謝らないといけないのか」みたいなことを言う人がいますが。そんなことを言う人がいる限りいつまででもだと私は思います。あなたが被害者だとして、いじめの加害者に「ごめんね」「謝ったからもういいでしょ」って言われて許せますか?私は許せません。問題はいじめよりもさらにひどい、家族を殺されたり、意図せずsex slaveにされたり、そんなことですよ。ねえ、ドイツがユダヤ人に「もういいでしょ」って言ったことありますか。ネオナチは言ってるかもしれませんけどね、政府の態度ではないでしょう。真に被害者に寄り添った対応をしなければいけないんじゃないですか。償えるのは(もうたくさん亡くなってしまったけど)直接の被害者が生きている今のうちだけなのに。
いろいろと穴があるのは書いていて分かります。でも、穴埋めと推敲に時間をかけまくって遅くなってしまうよりは、まずはもうやめてっていう意見の数を増やしたいと思いました。軽い気持ちで「韓国は馬鹿だ」とか「韓国政府も子どもっぽい」とか言ってしまう前に、どうか日本がどのような加害をしてきたかを調べて理解してください。すべての議論はその土台に立ってしか始まりません。
*1:普通は使わない言葉ですが当時の文脈で