Parce que c'est comme ça

欧州大学院生。最終目標はバカンスのある人生。パスクセコムサ。

私は頭がいいから

「彼女は頭が悪いから」を読みました。最近頭の中の積読棚をどんどん消費しているのですが、なんか全部フェミニズム関連の話になっています。

さて。

これは、美咲という個人の物語であると同時に、記号、社会構造の話でもあると思います。したがって、作中出てくる「東大」「お茶の水女子大」「水谷女子大」も、現実のというよりは(そもそも水谷女子大は架空だけれども)概念としてのそれらであるわけで。それぞれ「偏差値や社会的地位が高い(とされている)組織」「『女性としては』頭がよくて自立している人たち」「女性は劣っていろというジェンダー規範に絡めとられてしまう人たち」ならなんでもこの物語は成立するのです。

作中何度も「彼(女)は〇〇大だから△△」とストレートに言及されるのも、記号化された人たち(「グレーパーカ」「靴紐」など)がたくさん登場するのも、この構造化というテーマを意識して意図的にやっていることなのだと思います。

額面通りただのステレオタイプだと受け取ってしまうと面食らうかもしれませんが、仮にもプロの作家がなんの意図もなくそんな安直な定式化はしないでしょう。だから、大事なのは〇〇大でも△△じゃない人もいる!とか、そんなことではないのです。というか、そんなの当たり前だから。みんな分かってるから。三鷹寮が広くても狭くてもそんなの全然関係ない。

つばさをはじめ加害者たちは、最後までなにが悪かったのか分かっていません。「強姦しようなんて思っていなかった、思うはずもない」から。「法が罪というのなら、そうなんでしょう」でしかないんです。強制わいせつ罪の条文は以下のようになっています。

刑法第176条 13歳以上の者に対し、暴行又は脅迫を用いてわいせつな行為をした者は、6月以上10年以下の懲役に処する。13歳未満の者に対し、わいせつな行為をした者も、同様とする。

「わいせつな行為」とは、「被害者の性的羞恥心を害する行為」を言うそうです。つまり、つばさ達は、自身が行った美咲の服を脱がせる、胸を触る、裸の美咲にまたがって座る、カップラーメンの麺を素肌に落とすなどの行為が、「被害者の性的羞恥心を害する」とはみじんも思っていなかったということです。強姦だけがわいせつ行為だと思っていたのでしょうね。まあ紛うことなきクズなわけですけれども、作者の問題意識は、彼らがその個人的属性としてたまたまクズだったというよりも、「東大」「水谷女子大」という記号、そして日本社会の構造がそのクズ性を育てた(生んだ、とまでは言いません)のではないか?ということだと思います。もちろん、つばさの兄のように、東大なら必ずそうなるというわけではありません。繰り返しますが。だけど、横教大の男性たちはそれぞれの恋人と(少なくとも作中においては)健全なコミュニケーションを保っているし、つばさが摩耶に対して美咲と同じことをしえたかというと、ありえなかったでしょう。

ではその「日本社会の構造」とはなんなのか。それは、「学歴で人の価値が左右される」「偏差値が高い人は人間として優れており、低い人は劣っている」という価値観に基づいて社会が構築されているということです。つまり、つばさ達は、よもや美咲が尊重すべき一人の人間であろうとは思っていなかったのです。この作品の肝要な部分はここであり、それに同意できないということならば、ブックトークで議論になってもまあ分かります。けれども、同意できない人、いるでしょうか。東大(現実のほうです)で開催されたブックトークで、やれ(現実の)東大の女子比率は一割じゃないとか、挫折がどうのこうのと言って批判を浴びた某教授がいましたが、批判を浴びた理由は、そういう構造に強者として乗っかっている自分がちゃんと見えているのか、ということでしょう。さらに踏み込むなら、仮にもジェンダー論の教授としては見えているべきなのに、その強者としての自分を内省しないままむしろ弱者に擬態して自己弁護に走っているからじゃないでしょうか。ていうかジェンダー論って徹頭徹尾社会構造の話なのにそこ見ようとしないってやばくない?そんな人が教えるジェンダー論ってなに?そういう無自覚な強者が歪んだ社会構造を下敷きに起こした事件ではないかっていうのがこの小説の問題提起でしょう、まあ実際東大のヒトってそうなんだね実演してくれてありがとうって感じですけど(100%嫌味)。

ブックトーク後、その教授がインタビューに答えていますが、まあなーんにも分かっていない感がすごい。「事実が違うと(現実の)東大生は読み進められなくなってしまう」のはまさに「小説の読み方が分かっていない」読むほうの問題で、この本が「東大生の性犯罪再発防止にはならない」なんてちゃんちゃらおかしい。きちんと読めば、歪んだ構造の中に強者として位置する自分に気づけるはずだから。アナタこそ東大生は小説読解力皆無ですっていう偏見をまき散らしてるんじゃないの(笑)。自分がガイダンスにプログラムを組み込むため奔走していることを言うべきだったって、別に言っても言わなくても一緒だけど…。それ自体はもちろん素晴らしいことだけど、だからって的はずれな発言が許容されるわけじゃないでしょう。当たり前田のクラッカー。ねえ、認めて、アナタ単純にこの作品の主題を読み誤っているのですよ。

はい、本の話に戻ります。もうなんかあまりにあまりで怒りが滾ってしまった。

私は女性ではあるけれど、出身大学はおおかた「うわ~すごいね~」って言ってもらえるところです。この作品で言うところの、概念としての「東大女子」。女性蔑視VS学歴差別、ファイッっていう葛藤に陥った人を幾度も見てきたけど、まあだいたい学歴の勝利でしたね。「〇〇大です」っていうと、明らかにおじさん達が一歩引くし、くだらんセクハラ発言とかしなくなります。「軽んじていい女子」という扱いを受けたこともほとんどありません。そして、インカレのサークルに所属しており、たしかに〇〇大女子と外部の女子大女子とを分けて考える雰囲気がありました。どこかに彼女らを見下す気持ちがなかったかと言われれば、100%なかったとは言い切れません。

つまり、私は学歴社会においては強者側、特権を享受する側にいるわけです。私もまた美咲を苦しめた構造の加害者です。最近この学歴問題についてつらつらと考え始めていたところだったので、なんともタイミングのいい読書となりました。上で書いたように、この男尊女卑社会において、学歴はかなり強い盾になります。けれど、それを使って自分を守るということは、翻って、その盾を使えない女性たちを追い込むことに繋がっているのではないかと思ったりするわけです。違う盾を見つける必要があります。つくづく、「人権」の発明者って偉大だなあと思います。人間が人間である限り侵されてはならない権利がある、性別も学歴も貧富も居住地も血筋もなんっっっっにも関係なく、人は人として尊重されねばならない、と。自分が尊重されるのに理由なんていらないんですよね。

本の話に戻るとか言いながら自分の話になってしまいました。最近はこのクソみたいな社会を変えるよりは、いやもういいよ、私は日本からサヨナラするよ…という諦めモードに入ってしまっているところがあるのですが。でも、とりあえず今現在は日本に住んで働いているので、日常で遭遇するクソ事案には対応していきたいところです。おじさんへの愛想は有料(そしてすぐ品切れる)だし、おかしいと思ったことは泣き寝入りしない。しんどいけど、一つ一つやっていかねばと思います。