Parce que c'est comme ça

欧州大学院生。最終目標はバカンスのある人生。パスクセコムサ。

「反日」の氾濫

ここ数年だろうか、「反日」という言葉を本当によく目にするようになったのは。私はこの事態を本当に憂慮している。どこがどう問題なのか、一度文章にしておきたい。

 

  •  少し前までの「反日

以前、「反日」という言葉が使われていたのは、外国での日本製品不買運動や、日本語放映禁止等に対してであったと記憶している。これは正しい「反日」の使い方であると思う。正直私も日本系商店のガラスを割るなどの暴動はやめてほしいものだと思っていた。

 

これに対して近年では、日本内部の個人や集団に対してこの言葉がなげかけられている。中韓にルーツを持つ人や、現政権を批判する人を指していうことが多いらしい。反するもなにも、その人たちは「日本」そのものではないか。日本に住む人に対して「反日」などと言うことがどれだけ愚かで恐ろしいことなのか、そんなことも分からない人が少なからずいるらしいことに尋常ならぬ恐怖を感じる。

 

  • 「日本」とはなにか

そういう人たちにとって、それに「反」しているという「日本」とはなんなのだろうか?当然、日本に住んでいる人の集合体でも、日本国籍を持っている人の集合体でもないのだろう。彼らが支持するものは大きくふたつ、「現政権」と「中韓ヘイト」であるように思う。彼らにとって「日本」とはそのふたつを翼賛するものであり、そこに共通するのは、強気におもねり弱きを踏みつける精神性である。

しかし、当然ながら、「日本」はそのような者たちだけで成り立っているわけではない。外国にルーツを持つ人も、現政権に批判的な人もたくさんいて、その人たちも働き消費しこの社会を回している。少子高齢化の今日、という枕詞がつけられがちではあるが、多子若年化であっても、どんな境遇の人もその力を生かせる社会のほうが発展し生きやすいことは疑いがない。なのに、一部だけを「日本」と認定し残りを敵視するような態度は、誰も安心して暮らすことのできない世界を作り出すのみである。あ、もちろん、誰かの人権を侵害するような差別行為やヘイトスピーチはそれ自体論外ですよ。

どんな共同体でも、多様性を排除し異論を認めなくなってしまっては、向かうところ闇のみなのである。それに加えて、今の日本は現実としてお仲間で集まっていては衰退あるのみなのであって、実際着々と衰退している。

 

少し前、軽度障害者に対して障害基礎年金の打ち切りを検討するというニュースが流れた。ヤフーのリアルタイム検索でしばらく流れるツイートを眺めていたのだが、「それより先に外国人生活保護をやめろ」というような内容が時々あって、心が暗くなった。なぜ弱い者への抑圧を、さらに弱い者への抑圧によって対応しようとするのだろうか。奇しくも彼らは真理を言い当てているのであって、「それより先に」外国人生活保護が廃止されたとすれば、「次」に廃止の槍玉にあがるだけである。一度弱い者は切り捨てられるべきという規範が確立すれば、あとは順番を待つのみだ。弱い者どうしつぶし合うなんて愚かなことをしないで、明らかに失敗しているクールジャパン関連経費なり、国が本気になれば削れる予算などたくさんある。

 

  • 多様性の確保こそが日本の生き残る道

日本社会を構成しているものは実に多様であるのに、その内部を単純な敵味方で分けて分断するなど、現実を無視した誤った運営策だ。様々な問題を解決し、なるべく多くの人の力を生かせるようにするには、たとえ面倒でも地味に対話を重ねてゆくしかない。決着がつかないことは、権力差で強い者が言うことをきかせるのではなく、司法の場などで正義や論理によって解決されるべきだ。もちろん実際としていつもうまくいくなんてことはあり得ないけれど、最初から諦めていては始まらない。

幻想の「日本」を支持したいがための「反日」の氾濫はすなわち対話の拒否、分断の進行であり、確実に現実の日本社会を蝕む病理である。今の日本はかなり危ういところまできているということを、自覚せねばならない。