Parce que c'est comme ça

欧州大学院生。最終目標はバカンスのある人生。パスクセコムサ。

Gender inequality と Non-binary people

この学期はジェンダーに関する授業を2つ取っていて、今日はその1つ目の1回目がありました。Socio-economicな視点から西側の社会のGender inequalityについて論じるものです。初回から早速紛糾した原因は、教授のこの一言。

 

"Gender is binary."

 

つまり、ジェンダーは2つ、男と女であると。これに対して、Gender is not binaryという反論が為されました。男でも女でもないジェンダーがある、それについて議論しないならば、Gender inequalityではなくFemale inequalityを語っているに過ぎない、と。

それに対して教授は、そのような視点があることは承知しているし重要だと思うが、今回の授業の主題はそれではないし、取り上げるつもりもないと応えました。

 

結論から言うと、私は教授に賛成です。

だけど同時に、丁寧に話さないといけないことであるとも思います。一歩間違えれば、TERFという言葉に代表されるように、トランスセクシュアルや他のセクシャルマイノリティ排除に繋がりかねないからです。

 

まず、binaryであると断言することにより、自らをどちらにも振り分けていない人の存在を否定する効果を持たせてはいけないと思います。つまり、文脈が必要ということ。今回教授はあわせて"Sex is not binary."と言っていて、その点を意識したのではないかと思います。その用法が正しいのかは分かりませんが、事実としてあるもの=Sex、社会的に構築されたもの=Genderと捉えるならば、自分で自分をどう位置付けるかはSexの問題であるが、Non-binaryなものがGenderと言えるほど確立していないのではないか、という主張はありえると思います。確立していないこと自体の是非はまた別の問題です。

 

仮にNon-binaryもジェンダーの一つであるとするならば、冒頭の教授の発言はシンプルに間違いということになります。けれど、間違っているから彼女の主張が全て覆されるかというと、そうではないと思います。あくまでGender inequalityについて扱う授業において、Non-binaryな人々に触れる必要があるとすれば、Non-binaryというジェンダーに基づいて不公平な扱いを受けている場合だと思います。それがないと言い切るのは暴力的ですが、一般的に、Non-binaryだから数学ができないとか、かわいいものが好きとか、結婚したら名字を変えるものだとか、そういった偏見があると言えるでしょうか。私は否、と思います。

Non-binaryな人々の主な困難は、基本的には、Non-binaryであるにも関わらず他者が男もしくは女のどちらかの様式に従うことを求めてくる、ということなのではないでしょうか。とすれば、逆説的ですが、やはりGenderがbinaryであることの不具合がNon-binaryな人たちに降りかかっているだけではないか、とも思えます。

Gender inequalityが偏見に基づき人々に不利益をもたらすものである限り、Non-binaryな人々にまつわる問題をその文脈では論じないでおくことには一理あるのではないでしょうか。

 

もちろん、ジェンダーがbinaryであるからと言って、男とされる人々、女とされる人々の抱える困難がそのグループの中で均等であるわけはありません。生まれたときから大きな葛藤もなく「男」「女」をやっている人たちは、トランスセクシャルやNon-binaryな人々、また「らしさ」の規範から外れる同性愛者などと同じ差別を受けたことはないでしょう。だけれども、それは外国人差別や障害者差別と同類のフォビアの問題であって、必ずしもGender inequalityと直結はしません。

 

一方で、たとえば「『オネエ』とはこういうもの」という偏見に基づき行動や能力が制限されたりするならば、それはbinaryの枠を超えたジェンダーの問題かもしれないと思います。そのような偏見は、一時期特に、日本において蔓延っていたと思います。私にもそのようなバイアスがありました。ですので、冒頭の教授の発言に対し、この種の反論は有効だと思います。けれども、生徒の反論はそのような趣旨ではなかったと思うし、「『オネエ』らしさ」が「(見た目とは裏腹の)過剰な女らしさ」であるというような語り方がされる限り、やはりbinaryな問題ではとも思うわけです(話が行きつ戻りつですみません)。

 

性にまつわる複雑性を前にして、「事実として社会の大部分は男と女の二元論から成り立っており、女が圧倒的な不利益を受けていることは明白である。」という言説がなされることはよくあります。これはまったく正しいと思いますし、物事を男と女というたった二つの要素に分けて考えるという暴力的なことも、だからこそ必要だと思います。しかし、この主張は、「だから、男でも女でもないものとか、かつて男とされていたものとか、そのような少数事例は辺縁のものとして捨象してもよい。」という意味を示唆する危険性を孕むものだとも思うのです。ですから、ジェンダーはbinaryではないという主張に対し、最初から「事実」を突き付けるのは、望ましいことではないと思います。

頭の痛い問題ですが、とりあえず男と女の二元論で語りながらも、常にそれがマイノリティへの抑圧となっていないか自問しながら、表明された異議には都度真摯に向き合っていくしかないのだと思います。もちろん、マジョリティは異議を表明する必要もないという特権性も頭に入れて。

 

 

というわけで授業が始まりましたが、英語、結構分かりません。笑。全然笑ってる場合じゃない。わはは。

今週はどれもIntroductionなので聞き取れなくてもそこまで問題ではないのですが…いろいろと先が思いやられる。生徒の皆さんにおかれましてはなるべく授業の文脈に沿って話していただきたい(それで推測してる)ところなのですが…はいすいません自分が頑張ります。