Parce que c'est comme ça

欧州大学院生。最終目標はバカンスのある人生。パスクセコムサ。

Customary international law (of human rights)はなぜ必要か

授業一週目、無事かどうかは分かりませんがとりあえず終了しました。私の英語は上達してくれるのかしら…(死活問題)。

 

さて、今週の国際人権法入門の授業はCustomary international lawについてでした。日本語では国際慣習法。初めてこの概念を聞いたときは驚いたのですが、ざっくり言うと、国際社会において「慣習」として確立されていること(たとえば拷問の禁止)は、たとえ条約になっていなくても、それを定めた条約の批准国でなくても、守る義務が生じる、すなわち成文化された国際法と同じ効果を持つ、ということです。

 

根拠になっているのは、国際司法裁判所(ICJ)憲章の38条。

 

Article 38

1. The Court, whose function is to decide in accordance with international law such disputes as are submitted to it, shall apply:

    1. international conventions, whether general or particular, establishing rules expressly recognized by the contesting states;
    2. international custom, as evidence of a general practice accepted as law;
    3. the general principles of law recognized by civilized nations;
    4. subject to the provisions of Article 59, judicial decisions and the teachings of the most highly qualified publicists of the various nations, as subsidiary means for the determination of rules of law.

2. This provision shall not prejudice the power of the Court to decide a case ex aequo et bono, if the parties agree thereto.

 

 

条約のみならず、international customやthe general principles of law も司法裁判の対象になりますよ、つまりその侵害は国際法違反になりえますよ、と言っているわけです(ちなみに厳密に言えばcustom とgeneral principlesは別の概念らしいですが、まだよく分かってません)。

 

そんな乱暴なことってある?と思いません??条約の意味がなくなっちゃうんじゃない?とも。なんの同意もしていない事柄について、「これ慣習だから問答無用で厳守ね、よろしく」って言われたら結構鳥肌だと思います。

成文化したことだけ守っていればいいんじゃないか、と思ってしまいそうです。大事なことなら全部条約にしてしまえばいいじゃないか、と。しかし、実際問題多くの国の合意を取り付けるのが大変だ、ということ以上に、そこには意味があると思うのです。

そもそもなぜ国際(人権)慣習法が必要なのか、について考えたことを簡単にまとめておきます。

 

1.列挙の陥穽

今日国際慣習法として認められているものの例は、拷問やジェノサイドの禁止です。こうやって具体的に列挙していって、一つ一つ国際慣習法であると宣言していけばよいのでしょうか。けれどそれは、常に不完全な状態を容認するのと同じことではないでしょうか。「拷問の禁止、ジェノサイドの禁止、子どもへの死刑の禁止、エトセトラはすでに国際慣習法です。じゃあ、ほかの事項は?性差別の禁止は?なにが違うんですか?」この問いに答えられない限り、私たちは永遠に、本来なら護られるべきであった誰かを取りこぼし続けているのではないでしょうか。

 

2.なにが根源的な価値なのかについて考えることの重要性

人権には多種多様な側面があります。歴史的に、公的な場所における権利と私的な場所における権利を分けて考えてきたことが、女性の抑圧に繋がってきたというような文脈もありますが、それでも、程度の差は存在するでしょう。正確に言えば、それぞれの人権そのものの価値の差ではなく、どれに優先的にリソースを割くべきなのかという問題です。命を奪われないことと、投票権を保障することは、投票権が劣後するとは言い切りたくないですが、それでも緊迫した場面で優先されるべきは前者だと思います。

その意味で、なにがもっとも侵されるべきでない、全世界共通事項とすべき(できる)ものなのかについて考えることが必要です。もっとも、それを考えるにあたり、そのような哲学的な問いだけでなく、実際問題どのようにStatesによって実践されてきたかも考慮に入る(というのが通説らしい)ので、必ずしも当てはまらない部分もあるかもしれませんが。

 

以上の重要性を認めるからこそ、先ほどのICJ Statute 38条は条約だけでなく慣習もまた法であると宣言しているのだと思います。

 

じ ゃ あ、国際慣習法ってなんなのという問いについては、長くなるので(書けたら)また後日まとめるかもしれません。ねむい。来週の予習しなきゃ。