Parce que c'est comme ça

欧州大学院生。最終目標はバカンスのある人生。パスクセコムサ。

「英語が突然分かるようになる現象」は確かに突然だが突然ではない

相変わらず1か月でTOEFL100点という無謀な挑戦のため英語の勉強に励んでおります。

そしてとうとう私にも訪れました、噂の「英語が突然分かるようになる現象」。いやー本当に急でした。現象の前後で、TOEFLのリスニング過去問の大問正答率平均2/6→5/6、全問正解も時々という突然ぶり。

そしてなぜかTOEFLのリスニングセクションのリスニングだけという謎。笑 他のセクションの短めのリスニングは(精度はあがってきたものの)まだ「分かる!」という感じではありません。リスニングセクションのリスニングのほうが当然難しいはずなのになぜ…(._.)

 

大学院留学を視野に入れて本格的に勉強を始めたのが1月、怠惰やら仕事やらでときどき中断しつつ勉強法も変えてきたので、ここ1か月ほどの勉強法をもっと前からやっていればもっと早く「突然分かる現象」が訪れたのではないか…と後悔しそうになったのですが、いやいやそんなこともないんじゃないかと思った理由をつらつらと書いておきたいと思います。なるべく自分正しかった、自分偉いと思って生きていきたいじゃないですか。笑

 

結論から言うと、進歩はやっぱり少しずつしか訪れないと思うのです。これだけやっとけば短期間で突然現象が訪れる!という方法はあんまり想像できない。なのになぜ突然だと感じるかというと、文章を理解するという行為の特殊性にその理由があると考えました。

たとえば、こういう文章があるとします。

私はこの1か月ずっと勉強している。

勉強を重ねるごとに、「私は」「ずっと」「している」という言葉が理解できるようになっていても、結局この文章の一番肝要な点である「勉強」という言葉を掴めないと、文章全体の理解度としてはかなり低いわけです。逆に言うと、次に「勉強」が聞き取れるなった時点ですべてが繋がり、この文章が意味のあるものとして立ち上がってきます。

つまり、実際には「私は」→「ずっと」→「している」→「勉強」→「1か月」→「この」という順番でコツコツ習熟度を上げているのだけれども、意味の理解という点では「している」と「勉強」の間に特別大きな差があると。

これが噂の「突然」現象というものなのかなあと想像してみた次第です。あ、実際にはこんな文節単位で習得していってるわけではないと思いますよ!あくまで例です。

 

というわけでこれまでの苦労があって今がある、とこれまでの自分の努力を誉めてあげようじゃありませんか。無駄なことなんてなかったんだ、と自分に言い聞かせて引き続きがんばります☆