Parce que c'est comme ça

欧州大学院生。最終目標はバカンスのある人生。パスクセコムサ。

なぜ涙が出るのか。ー退職に寄せて

今日は私の人生の第一幕が終わった日です。大学を出てすぐに就いた職を辞しました。もちろん辞職それ自体も大きな決断であり一つの区切りなのですが、なんというかそれ以上に、いわゆる「まともな人生」というレールから降りたという意味で特別な日です。

レールに乗っていなければならない、というような恐怖感がすごくあったわけではありません。そのときそのとき選んだ道がたまたま王道をいくものだったという感覚なのですが、それでも、やはりそのレールに乗っている限り保障されるものはあるのだなと実感もしました。だから、これからの自分に少しの不安はあります。

でも、今私の心の中にある感情の大半は、楽しみとか嬉しさとか、ポジティブなものたちです。これまでの仕事では人生は誰かにアサインされるものでしたが、これからは自分でデザインしていけると思うと、否が応でも胸が高鳴ります。

なのに今日、何度か涙がこみ上げてきました。なぜだろう。

それは少なくとも不安からではありません。決まって、挨拶にまわった職場の人からあたたかい言葉をもらえたとき、もしくはそれが思い返されるときにそうなるからです。

なんだろう、自己評価としては私がこの職場で成し遂げたことはとても少ないし、どちらかというと人の仕事を増やすようなことしかできなかったと思っていました。それはそんなに間違ってはいないと思うけど、予想に反してたくさんの人が思いやりにあふれた笑顔で「あなたなら大丈夫」「充実した日々を過ごせますように」と言ってくれました。

これを書いている今も泣いていますが、やっぱりなぜ涙が出てくるのかよく分かりません。なにもできなかった、自分はそんなに優秀じゃなかったという自己評価は、冷静に下しているつもりでも(だからこそ?)どこかで心を傷つけていて、その傷を手当てしてもらえたことが予想以上に嬉しかったのかもしれません。単純に思わぬ人の優しさに感動したのかもしれません。

いずれにしてもたくさんの人が私の今後を気にかけてくれていました。それに恥じない自分でありたいと思います。染みついたさぼり癖はなかなか抜けないけれど、するべき努力はして、今描いている「こうありたい」という自分になれるよう、コツコツ歩んでいきます。

さよなら霞が関、また会う日まで。