Parce que c'est comme ça

欧州大学院生。最終目標はバカンスのある人生。パスクセコムサ。

私は頭がいいから

「彼女は頭が悪いから」を読みました。最近頭の中の積読棚をどんどん消費しているのですが、なんか全部フェミニズム関連の話になっています。

さて。

これは、美咲という個人の物語であると同時に、記号、社会構造の話でもあると思います。したがって、作中出てくる「東大」「お茶の水女子大」「水谷女子大」も、現実のというよりは(そもそも水谷女子大は架空だけれども)概念としてのそれらであるわけで。それぞれ「偏差値や社会的地位が高い(とされている)組織」「『女性としては』頭がよくて自立している人たち」「女性は劣っていろというジェンダー規範に絡めとられてしまう人たち」ならなんでもこの物語は成立するのです。

作中何度も「彼(女)は〇〇大だから△△」とストレートに言及されるのも、記号化された人たち(「グレーパーカ」「靴紐」など)がたくさん登場するのも、この構造化というテーマを意識して意図的にやっていることなのだと思います。

額面通りただのステレオタイプだと受け取ってしまうと面食らうかもしれませんが、仮にもプロの作家がなんの意図もなくそんな安直な定式化はしないでしょう。だから、大事なのは〇〇大でも△△じゃない人もいる!とか、そんなことではないのです。というか、そんなの当たり前だから。みんな分かってるから。三鷹寮が広くても狭くてもそんなの全然関係ない。

つばさをはじめ加害者たちは、最後までなにが悪かったのか分かっていません。「強姦しようなんて思っていなかった、思うはずもない」から。「法が罪というのなら、そうなんでしょう」でしかないんです。強制わいせつ罪の条文は以下のようになっています。

刑法第176条 13歳以上の者に対し、暴行又は脅迫を用いてわいせつな行為をした者は、6月以上10年以下の懲役に処する。13歳未満の者に対し、わいせつな行為をした者も、同様とする。

「わいせつな行為」とは、「被害者の性的羞恥心を害する行為」を言うそうです。つまり、つばさ達は、自身が行った美咲の服を脱がせる、胸を触る、裸の美咲にまたがって座る、カップラーメンの麺を素肌に落とすなどの行為が、「被害者の性的羞恥心を害する」とはみじんも思っていなかったということです。強姦だけがわいせつ行為だと思っていたのでしょうね。まあ紛うことなきクズなわけですけれども、作者の問題意識は、彼らがその個人的属性としてたまたまクズだったというよりも、「東大」「水谷女子大」という記号、そして日本社会の構造がそのクズ性を育てた(生んだ、とまでは言いません)のではないか?ということだと思います。もちろん、つばさの兄のように、東大なら必ずそうなるというわけではありません。繰り返しますが。だけど、横教大の男性たちはそれぞれの恋人と(少なくとも作中においては)健全なコミュニケーションを保っているし、つばさが摩耶に対して美咲と同じことをしえたかというと、ありえなかったでしょう。

ではその「日本社会の構造」とはなんなのか。それは、「学歴で人の価値が左右される」「偏差値が高い人は人間として優れており、低い人は劣っている」という価値観に基づいて社会が構築されているということです。つまり、つばさ達は、よもや美咲が尊重すべき一人の人間であろうとは思っていなかったのです。この作品の肝要な部分はここであり、それに同意できないということならば、ブックトークで議論になってもまあ分かります。けれども、同意できない人、いるでしょうか。東大(現実のほうです)で開催されたブックトークで、やれ(現実の)東大の女子比率は一割じゃないとか、挫折がどうのこうのと言って批判を浴びた某教授がいましたが、批判を浴びた理由は、そういう構造に強者として乗っかっている自分がちゃんと見えているのか、ということでしょう。さらに踏み込むなら、仮にもジェンダー論の教授としては見えているべきなのに、その強者としての自分を内省しないままむしろ弱者に擬態して自己弁護に走っているからじゃないでしょうか。ていうかジェンダー論って徹頭徹尾社会構造の話なのにそこ見ようとしないってやばくない?そんな人が教えるジェンダー論ってなに?そういう無自覚な強者が歪んだ社会構造を下敷きに起こした事件ではないかっていうのがこの小説の問題提起でしょう、まあ実際東大のヒトってそうなんだね実演してくれてありがとうって感じですけど(100%嫌味)。

ブックトーク後、その教授がインタビューに答えていますが、まあなーんにも分かっていない感がすごい。「事実が違うと(現実の)東大生は読み進められなくなってしまう」のはまさに「小説の読み方が分かっていない」読むほうの問題で、この本が「東大生の性犯罪再発防止にはならない」なんてちゃんちゃらおかしい。きちんと読めば、歪んだ構造の中に強者として位置する自分に気づけるはずだから。アナタこそ東大生は小説読解力皆無ですっていう偏見をまき散らしてるんじゃないの(笑)。自分がガイダンスにプログラムを組み込むため奔走していることを言うべきだったって、別に言っても言わなくても一緒だけど…。それ自体はもちろん素晴らしいことだけど、だからって的はずれな発言が許容されるわけじゃないでしょう。当たり前田のクラッカー。ねえ、認めて、アナタ単純にこの作品の主題を読み誤っているのですよ。

はい、本の話に戻ります。もうなんかあまりにあまりで怒りが滾ってしまった。

私は女性ではあるけれど、出身大学はおおかた「うわ~すごいね~」って言ってもらえるところです。この作品で言うところの、概念としての「東大女子」。女性蔑視VS学歴差別、ファイッっていう葛藤に陥った人を幾度も見てきたけど、まあだいたい学歴の勝利でしたね。「〇〇大です」っていうと、明らかにおじさん達が一歩引くし、くだらんセクハラ発言とかしなくなります。「軽んじていい女子」という扱いを受けたこともほとんどありません。そして、インカレのサークルに所属しており、たしかに〇〇大女子と外部の女子大女子とを分けて考える雰囲気がありました。どこかに彼女らを見下す気持ちがなかったかと言われれば、100%なかったとは言い切れません。

つまり、私は学歴社会においては強者側、特権を享受する側にいるわけです。私もまた美咲を苦しめた構造の加害者です。最近この学歴問題についてつらつらと考え始めていたところだったので、なんともタイミングのいい読書となりました。上で書いたように、この男尊女卑社会において、学歴はかなり強い盾になります。けれど、それを使って自分を守るということは、翻って、その盾を使えない女性たちを追い込むことに繋がっているのではないかと思ったりするわけです。違う盾を見つける必要があります。つくづく、「人権」の発明者って偉大だなあと思います。人間が人間である限り侵されてはならない権利がある、性別も学歴も貧富も居住地も血筋もなんっっっっにも関係なく、人は人として尊重されねばならない、と。自分が尊重されるのに理由なんていらないんですよね。

本の話に戻るとか言いながら自分の話になってしまいました。最近はこのクソみたいな社会を変えるよりは、いやもういいよ、私は日本からサヨナラするよ…という諦めモードに入ってしまっているところがあるのですが。でも、とりあえず今現在は日本に住んで働いているので、日常で遭遇するクソ事案には対応していきたいところです。おじさんへの愛想は有料(そしてすぐ品切れる)だし、おかしいと思ったことは泣き寝入りしない。しんどいけど、一つ一つやっていかねばと思います。

Personal Statement・Motivation Letterと格闘中。

こんばんは、はなぶさです。

ラストTOEFLですはね…はい…。スピーキングで撃沈し、リスニングも胸を張って「できた!」と言える感じではなく…。はい。

100点取れたにせよ取れなかったにせよもうこれで最後にしようと決めていたので、最近はひっっっったすら志望動機書と格闘しております。

 

取り組み始めたのは8月下旬なのですがね。もうあっという間に10月ですって。こわ。

1か月ほどはひたすらおひとり様で書き直しの連続。こんなに一つの書類書き直したことって人生でないです。笑

9月下旬にようやく形にはなってきたので、この段階で留学経験者の知人友人に見てもらい、頂戴したありがたーーいアドバイスをもとにまたせっせと書き直しておりました。

留学経験者ブログとか読んでるとよく登場する「読んでアドバイスをくれるネイティブの友人」、なんでみんなそんなスーパーな友達いるんですか?って不思議になりません?いや、いないよ、日本で純粋培養されてきた私には…。いやいや、純粋培養を言い訳にしてはいけないことは分かっていますがね。やっぱ留学なんて目指す時点である程度選別されているということなのかしら。あと現在大学に在籍してるかどうかがここでは大きいですかね。教授に頼めたりしそう。

まあいないもんはしょうがないとして、急に頼んで快く助けてくれた友人には本当に感謝してもしきれません。

あと、proofreadは個人でやってる人に頼む予定です。最初は添削サービスを使おうと思っていたのですが、なんせ高価。かつ、オリジナリティが大事な志望動機書が型にはまった感じになると嫌だなと思いまして。まあ、そこらへんみなさんプロではあるんでしょうけれども。

 

というわけで一か月以上来る日も来る日もパソコンに向かい自分を激賞する文章を推敲し続けているわけですが(改めて文章にしてみるとわりと地獄。笑)、思わぬ副産物があったといいますか、ライティング能力がめっちゃ上がった気がします。

先日のTOEFLでは、書きやすい題だったこともありますが、さらさら書いてたらなんか520文字とかいってました。びっくらこいた。とにかく字数が正義と信じ込んでいた時期、500字を越えられはしても、書きながら自分でもこれ変だなとか論理破綻してるなとか思ってるところ直す暇がなかったんですよ。でも今回はそれなりに考えながら、頭の中で組み立てながら書いてたのに気づいたら520文字でした。たださすがに一から見直していく時間はなかったので、そんなに文字数いらない(前回460くらいでW26点取れました)んだから適度に収めて精度をあげろよ自分、と今さらいってもしょうがないですがはい。

特別早く書く訓練してたわけじゃなく、むしろ一文ひねり出すのにいろいろ調べまくって何分もかけながらやってたくらいなんですが、それでも早く書く能力って上がるんだなあと思ったのでした。

 

というわけで出願準備途中経過でした。

今月中には全部書類を出し切るスケジュールなので、あと一か月弱がんばります。

5年以上経っても諦めない(高校の成績証明書)

こんばんははなぶさです。100点へ向けたファイナルTOEFLがいよいよ今週末に迫ってきました。なんか100点以上取れる気しかしてないのでこのまま強気でいきます。

 

さて、来年からの大学院留学を目指している方々におかれましてはそろそろ出願準備も佳境に差し掛かってきたところかと思います。私も先ほどようやく必要な書類の手配・下書きをほぼ済ませました。本当にようやく。あとは人に読んでもらったり校正してもらったりして微調整していきます。

本日はその中で一時お先真っ暗になって困った高校の成績証明書について、もしかしたら誰かの役に立てるかもしれないので書いておきます。

 

 

高校に発行を頼んでみたら断られた

海外の大学、大学院の出願に高校の成績証明書が必要になる場合、マレーシアなどでたまにあると思います。しかしこれが曲者で、卒業から5年以上経ってしまうと、高校から発行を断られてしまうことが多いそうなんです。

かく言う私も、発行してもらえないかもしれないなんて全く思いもよらずに高校に連絡し、「申し訳ないですが、発行できません。」と言われてしまいました。結構本気で頭が真っ白になった。それからネットで調べても、ガチで発行してもらえなくて出願を諦めた人のブログなんかもあったり。おそろしや。

 

なぜ発行できないのか

できませんと言われてハイ分かりましたと簡単に諦められるものではないので、なんでそんなことになっているのか調べてみました。根拠条文は学校教育法施行規則第28条

第二十八条 学校において備えなければならない表簿は、概ね次のとおりとする。
 
 
四 指導要録、その写し及び抄本並びに出席簿及び健康診断に関する表簿
 
 
○2 前項の表簿(第二十四条第二項の抄本又は写しを除く。)は、別に定めるもののほか、五年間保存しなければならない。ただし、指導要録及びその写しのうち入学、卒業等の学籍に関する記録については、その保存期間は、二十年間とする。

                       ※関係ないところは省略しています。

成績証明書はこの「指導要録」をもとに作られるのですが、その書類の成績に関係する部分の保存義務が5年間なんですね。なので、5年を過ぎたらプライバシーの関係等で破棄することが望ましいとされていたりして、もう記録がないから発行できませんよというわけです。

 

機械的に5年経過=発行不可ではない

そう、記録がないから発行できません、ということにすぎないのです。だから、何かの理由で5年を過ぎても学校側に記録が残っている場合などは発行できますし、してもらっても法令違反にはなりません。私もうなんとかしなきゃと思って文部科学省まで問い合わせたのですが(笑)、国としても、発行してはいけないとまでは言っていないと。そして、実際に5年を過ぎてから証明書を発行してもらわなくてはいけなくなる人がいること、各高校や教育委員会の判断でなんらかの措置を講じてあげたケースも実際にあることは把握しているそうです。

 

交渉のポイント(私見

高校の担当者は上記の内容までは把握しておらず、単に5年過ぎたら発行できないとだけ考えていることもあると思います。こちとら留学できるかどうかで今後の人生変わってくるんですから、担当者はイレギュラーで嫌がるかもしれないけど、一度発行できませんと言われても粘ることをおすすめします。その際訴えるポイントは、

・条文は発行を禁止するものではないこと。

・実際に便宜を図ってあげたケースがあること。

の2点だと思います。役人は法令と前例で倒しましょう。笑

なお、2点目については「~って書いてあるブログがありました!」ではちょっと説得力に欠けるので、「~って聞いたんで教育委員会(か文科省)に確認してみてください」とやるのがいいかなと思います。

また、1点目についてはちょっと諸刃の剣になることもあって…。県の文書管理規則で「保存期間を過ぎた書類は速やかに破棄しなければならない」というような規定がある場合、高校がまだ捨てていなくてもちょっと証明書を出しにくくなってしまうかもしれませんね。高校を管轄する役所の規則を調べてみてください。(私立の場合だとまた違うかもしれません)

 

とりあえず門前払いを回避したら、記録探しを依頼しよう

ここまでがんばって、相手がじゃあまあ話は聞いてあげましょうという態度になってくれたら、学校が記録を保存していないか探してもらいましょう。知っている先生がまだ残っているなら連絡を取るのがいいと思います。また、自分でも通知簿を保管していないか探してみてください。

 

記録が残っていなかったら

学校側にも自分の手元にもデータがない場合、これは残念ながら復元ができないのでどうしようもないですね…。代わりに発行してもらえる「発行できないことの証明」「単位取得証明」で代替できないか、出願する大学院に問い合わせるしかないです。

 

記録が残っていたら

この場合、高校の先生や教育委員会の判断次第でなんらかの書類(正式なものは難しくても、それに代わるなにか)を出してもらえる可能性があります。学校側に残っていればそのほうがいいですが、自分の手元だけにある場合でも望みはまだ繋がっています。自分がこれまでいかに留学に向けて準備してきたか、なぜその大学(院)に行きたいのかを切々と訴えるなどして、頼み込みましょう。

 

そもそも論2つ

っていうか保存義務5年っていうのがそもそも短すぎだと私は思うんですよ。世の中高校出てからしばらくして大学入る人だっているでしょう?そのとき高校でがんばっていい成績取っていてもアピールできないなんて悲しすぎます。平成6年頃までは20年保存だったそうなので、ぜひとも戻していただきたい。文部科学省様。

もう1つは、5年以内なら何の問題もなく発行してもらえますから、たとえ留学するつもりが露ほどなかったとしても、とりあえず発行しといてもらうというのも有効だとは思います。人生いつ何があるか分かりませんからね。

 

はい、というわけで、誰かのお役に立てれば幸いでございます。

日本は加害者であることを理解してください

私テレビを一切観ないので詳しくは知らないんですが、Twitterやネットニュースで観ているだけでも最近かなり韓国を侮蔑するような感情が高まっているようですね。戦前の主戦論(これは日露戦争の話やけど)とかこんな感じだったのかなあと…こんなこと、体験したくはなかったよ。大正デモクラシーから戦争まで早すぎじゃない?何があった??と常々不思議でしたが、ああ、こういうことですねと腑に落ちる感じ。今関東大震災が起きたら朝鮮人*1虐殺の悲劇再来するかもしれないな、しても驚かないなと思いますね。いや他人事ではもちろんいけないと思うからこそこの記事を書いているわけですが。

 

よく見るのが「韓国の批判するのがヘイトなら日本の悪口言うのもヘイトじゃないんですか?」というやつ。違います。百歩譲って「日本人はクズ」みたいな言説をヘイトに含めるとしても、日本において「韓国人はクズ」と「日本人はクズ」の与える影響は決して同じではありません。どうかここの勘違いを改めてください。

 

単に嫌われることを指して「ヘイトためる」みたいな言い方も蔓延してるのでややこしくなるのはしょうがないかもしれませんが、ヘイトスピーチの短縮形の「ヘイト」であるかどうかの判断に際しては、どの社会において誰が誰に向かって言うか決定的に重要だと私は思います。ヘイトスピーチの何がいけないかって、それ自体が差別であることのみならず、それによって差別が扇動されて、誰かの安全な生を脅かすことです。日本に住んでいてマジョリティの日本人であれば、国内で日本批判があったって、それで殺される心配をしますか?「日本人はクズだから殺せ」って日本人が言ってたら、いやあなた殺されたいの?ってなるだけですよね。 まあ見たことないけどそんな場面。外国人が言ったとしたら、まわりの圧倒的多数派日本人に潰されて終わりじゃないですかね。職を失うかもしれないし、職を失ったら住んでいられないでしょう。

 

だけど。日本に住んでいる外国籍の人、外国にルーツがある人にとってはどうでしょうか。実際に韓国・朝鮮の人を差別し搾取してきた実績のあるこの国で、現在に至っても差別体験を受けた人が多くいる中で、安心して暮らすことなどできるでしょうか。差別されていい人なんていません。

 

よく「日本はいつまで謝らないといけないのか」みたいなことを言う人がいますが。そんなことを言う人がいる限りいつまででもだと私は思います。あなたが被害者だとして、いじめの加害者に「ごめんね」「謝ったからもういいでしょ」って言われて許せますか?私は許せません。問題はいじめよりもさらにひどい、家族を殺されたり、意図せずsex slaveにされたり、そんなことですよ。ねえ、ドイツがユダヤ人に「もういいでしょ」って言ったことありますか。ネオナチは言ってるかもしれませんけどね、政府の態度ではないでしょう。真に被害者に寄り添った対応をしなければいけないんじゃないですか。償えるのは(もうたくさん亡くなってしまったけど)直接の被害者が生きている今のうちだけなのに。

 

いろいろと穴があるのは書いていて分かります。でも、穴埋めと推敲に時間をかけまくって遅くなってしまうよりは、まずはもうやめてっていう意見の数を増やしたいと思いました。軽い気持ちで「韓国は馬鹿だ」とか「韓国政府も子どもっぽい」とか言ってしまう前に、どうか日本がどのような加害をしてきたかを調べて理解してください。すべての議論はその土台に立ってしか始まりません。

*1:普通は使わない言葉ですが当時の文脈で

TOEFLは延長戦へ

いつの間にやら8月も下旬ですね。びっくり。皆様いかがお過ごしでしょうか。

 

TOEFLの結果発表があってから1週間も空いてしまいましたが、何をしてたかというと、ひたすら奨学金の応募書類に精を出していました。今日・明日の連休で仕上げるつもりだったのですが思ったより早く終わりました。めでたい。何回も確認したけど不足書類がないことだけは祈ります。

 

はい、というわけで、タイトルでお分かりの通り、TOEFL100点は無理でした。ちーん

いやあ…リスニングがゴミすぎた…1大問?マーク浮かべてるうちに終わってしまったのですよね…ダミーだったらいいなと思ってたんですけど。あれがダミーだったら+3点くらいはあったと思うんだ。。まあそれでも100点には足りなかったけど。。

 

で、この記事はもう100点取れなかったらこの世の終わりだくらいのテンションで書いていたのですが、なんと出願時点で英語が足りていなくても奨学生になれた例もあるとのことで(恥をしのんで問い合わせた)、とりあえず他の書類がんばって仕上げました。

よくよく考えてみたら、10月下旬までに100点が取れればまだ道はありそうです。とはいえ、お金がないのでね…さすがに来月ので決めます。断言していくスタイル。

 

もちろん100点取らないといけないんですけど、考えてみれば、英語苦手マンだった私がとりあえず94点までもよくたどり着いたなと。3年くらい前はTOEIC730超えるのにも苦労してましたからね。とりあえず94点あれば第二志望の大学院にも奨学金にも応募できます。ほんっとーに最低限はクリアできたかなと(ゴールポストずらす典型)

 

悔しいけどTOEFL、よくできてる試験だなと思います。それに向かって一生懸命勉強しているうちに、読むスピード上がったし語彙力強化されたし英語のYouTubeだいたい意味取れるようになったし英語で楽しく人と晩御飯食べれるようになったしResearch Proposal書くのにもすごい役立ったし。確かにこれは留学したい人は超えないといけない関門ですね。もうちょっと受験料安くならないのかしら…それさえなんとかしてくれれば言うことないんですけど。

 

なにはともあれ100点取る!!ぞ!!!

がんばりたいけどがんばりたくない

TOEFLのことはいったん考えないことにして、徐々に奨学金応募準備を進めつつ束の間の休息を取っています。とはいえ終わってからもう5日、応募締め切りまで2週間なのでそろそろ休息も終わりにせねばなりません。

 

前の仕事を辞めてから(4~5月は余裕ぶっこいてはいたものの)常に次の何かの締め切りに追われる日々です。追われるとはいっても今は週5日みっちり働いているわけではないので、時間的余裕は会社勤めしながら留学準備している人よりかなりあるのですが。

 

何がしんどいかというと、踏まねばならないステップ(TOEFL100点→奨学金→大学院合格)の全てがチャレンジであること。どれか1つだけでもできるかどうかかなり不安なのに、全てをクリアする必要がある、そのために報われるかどうか分からない努力を数か月続けないといけない、というのが時々どうしようもなくしんどくなります。

全てうまくいったときの多幸感はものすごいものだと思うし、それを想像してがんばってはいるのですが。

 

だから、ついつい逃げ道を考えてしまいます。TOEFL100点取れなくても、90点で行けるところを探せばいいじゃない。奨学金がだめでも、なんとか働いて親に頭を下げればいいじゃない。大学院に受からなくても、海外に住める方法はあるじゃない。

全部その通りではあるんです。でも、そんなことを考えてしまう自分が嫌だし、言霊のように、考えれば考えるほど現実になってしまうのではないかという恐れもあります。それでも考えることをやめられない自分にまた自己嫌悪。はいループ。

 

ここ半年ほどずっと、同じような思考をぐるぐると繰り返しています。こうなりたいという理想はある。でも、理想だけあって、見えないほど高いところにある。いいじゃない、理想通りにいかなくても、ゆるく楽しく生きられれば。そうなんだけど、でも戦う前から逃げるようなこと考えたくない。でも考えてしまう。はいループ。

 

今までのところ、実際の行動としては戦う方向に舵を切り続けていることは確かなので、とりあえずそこのところは自分をほめてあげようと思います。ネガティブになったってしょうがないものね。

いずれにしろ、泣いても笑っても頑張ってもさぼっても11月には全て終わっているはず。3か月くらい、やり抜いてせるよ、と言い聞かせて精進します。

新型TOEFL感想

本日8月3日、TOEFLを受けてまいりました。疲れた。あとは運を天に任すのみ。レイターさん、なにとぞ寛大な採点をば。

 

TOEFLガチ勢の方々ならご存知かと思いますが、この8月からTOEFLの形式が一部変更されました。出題内容の変更と、「マイベストスコア」なるものが利用できるようになるようです。これ、大学側がアクセプトしてくれたら受験生側にとってはかーなーり助かるんじゃないでしょうかね。

というわけで、その新型TOEFLをいち早く受けてきた感想をお届けしていきたいと思います。なお、変更内容についてはこのサイトが分かりやすかったです。

www.toeflresources.com

 

Reading

かなりラクになったと思います。

文章の長さ自体は変わりませんが、問題数が減り、一問にかけられる時間は増えました。以前は迷ってる時間はほとんどなくサクサク進まないといけない感じでしたが、今回は結構行きつ戻りつしながらも最後数分時間が余り、見直すことができました。

なお、単純に単語の意味を問う問題の数が減ったような気がします。

 

Listening

正直あまり違いを感じませんでした。一大問玉砕したせいかもしれないが…

ただたぶん大問数それ自体は減っていると思うので、以前と比べると集中力をもたせる時間が短くなったのは負担軽減かもしれませんね。

 

Speaking

当日の緊張という意味ではそんなに変わらないような気もしますが、難易度と事前勉強の負担に関して言えば劇的に軽減したと思います。だって、自分の意見を述べる必要のある設問が3→1に大幅減です。

大問数が減った分、やらかしたときのリカバリーが難しいというのはその通りですが、、メリットのほうが上回ると思います。個人的には。

ていうか上のサイトでもある通りQ.1と5がなくなってたんですが、そういうクソ大事な情報公式サイトに載せない割に部外者に隠そうともしないその姿勢はなんなの??ETS???情報は求める者のみに与えられるということでしょうか…Writingの謎の文字数目安といい、公式情報で攪乱してくるの本当にやめてほしい。

 

Writing

は、まっったく変更なしです。既報のとおり。

 

マイベストスコアもそうですが、今回の変更は概して受験生に優しい方向に作用するのではないかと感じました。変更もあったものがなくなっただけで、これまでと違う新たな対策を取る必要はなさそうです。まあ急に平均点あがっちゃったりしたら設問の難易度とか調整してくるかもしれないけど…。

 

個人的な手ごたえで言えば、リスニングでわりとやらかしたけれどその他のセクションの出来が悪くなく(と信じている)、100点に一縷の希望を持っているというところです。神様お願い。お願いします。

 

どなたかの参考になれば幸いです。